『眠られぬ夜のために第二部』ヒルティの名作【書評】

2020年10月24日キリスト教

カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』(岩波文庫)。同じく岩波文庫に入っている『幸福論』と並び、100年以上も読みつがれている名著です。

キリスト者であるヒルティが、聖書の世界観を背景に人生訓を述べる本。

今回これの第二部を読みました。第一部は昔読んだことがあるのですが、第二部に関しては否定的な評判を聞いたことが影響して手に取る機会がありませんでした。

第一部、第二部といっても、それぞれで完結しています。1月1日から始まり、12月31日まで、ぜんぶで365個の文章が詰め込まる構成なのですが、それぞれに365個の文章が入っています。

言い換えると、第一部と第二部を合わせれば2年分の文章(730個)になるということです。

 

第一部よりも読みにくい

この『眠られぬ夜のために第二部』ですが、評判通り、第一部よりだいぶ読みにくい本になっています。

聖書を参照した神学的な議論が多いですね。またキリスト教以外の宗教に対して、やや排他的な態度が目につく気がします。そこがちょっと残念でした。

 

興味深く思ったのは、霊能力に関する記述。どうやらヒルティにはそのような能力があったらしい。彼はそうした能力を過大視しないため、立ち入った記述はなされないのですが、ヒルティがそうした話をすること自体がめずらしかったので印象に残りました。

ヒルティに限らず、西洋の知識人がそういう話をすることってめずらしいですよね。

 

哲学には祝福が宿らない

第一部ほどの感銘を受けなかったとはいえ、印象的なパートもありました。もっとも印象に残ったのは、次の文章。

哲学は、成長し繁栄する生活の基礎を発見しようと骨折っているが、全く徒労である。哲学には、さしあたりなんの祝福も宿ることがない、真理の霊に活かされたさらに優れた人びとが、この仕事にあたらないうちは。

 

ヒルティのいうことが、すごくよくわかる気がする。

よく日本の大学生とかが、実存的な不安や悩みを解消することを目指して哲学に引き寄せられたりしますよね。しかしそれは徒労だと思うんですね。哲学とは言ってみれば、抽象的なパズルにすぎないわけですから。その根っこにはなんのエネルギーもない。

なにか精神的なエネルギーを放ちまくっている哲学者がいたとしても、彼ないし彼女は哲学とは別の場所からそれを得ているに違いありません。

 

哲学ではなく、ほんとうは宗教に行くべきなんですよね。しかし現代日本のように宗教のやせ細ってしまった地では、それも難しい。例えるなら貧弱な金融システムのなかでお金を借りるようなものですからね。

オウム事件が起きてから2019年までの現在、宗教性についてなんとかごまかし続けてはきましたが、これからの日本はこの問題が表面化してくると思う。

政治の過激化という形ですでにそれが現れているという見方もできますが。

 

『幸福論』も第一巻は読みやすい

『眠られぬ夜のために』を読むのなら、とりあえずは第一部だけでいいと思います。第一部は神学的な議論なども控えめで、だれが読んでもためになる実践的な話が中心です。

上述したように、第一部だけでも365日ぶんの文章が収録されていますので、上下2冊読まなくてはいけない類の本ではありません。

ヒルティには『幸福論』(岩波文庫)という名著もありますが、あれも第一巻→第二巻→第三巻と進むにつれてキリスト教的な世界観が強くなっていった覚えがありますね。

『幸福論』のほうも第一巻は読みやすいので、オススメしておきます。