なぜ聖書は正典になれたのか『旧約聖書の誕生』【書評】

2021年4月21日キリスト教

旧約聖書の文章はどのような歴史的状況のなかで生まれたのか?そしてそれはどのような思想的課題を解決しようとしていたのか?

それを解説した本が『旧約聖書の誕生』(ちくま学芸文庫)です。

最近なぜか旧約聖書にハマっていて、読みたいと思っていた関連書の一つがこれ。

しかし正直、あまり読みやすい本ではなかったです。なんというか、「資料」という感じ。文章もぎこちなく(外国語を学習しすぎた弊害か)、読み物としての魅力は薄かった。

同じような趣旨の本に『聖書時代史』(岩波現代文庫)がありますが、実はあちらのほうが読み物としての面白さは上ですね。比較にならないほどです。

パッと見では逆の印象になりますけどね。岩波現代文庫の装填からしていかにも地味そうな内容ですが、実際にはあちらのほうが面白いです。キャッチーなカバーの本書のほうが読むのはきつい感じ。

関連:『聖書時代史 旧約編』旧約聖書の背後にある本当の歴史【書評】

 

なぜ聖書は正典になれたのか?

本書の魅力として、随所に著者オリジナルの考察が登場する点が挙げられます。

エズラが律法の形式としてわざわざ物語を選んだのは、将来における正典の拡張性を担保するためだったのではないかなど、興味深い指摘が色々となされます。

もっとも興味深かったのが、聖書が正典になれた理由を考察するパート。

聖書のコア部分が編集されたのはバビロン捕囚がペルシア帝国によって解消された直後です。エズラの指揮のもとで、コアとなる部分がまとめられました。

なんか聖書というと限りなく昔のテキストみたいな印象がありますけれども、実際にはわりと最近できたものなんですね。

それ以前にも重要な文書はありましたが、正典の地位を占めるものはなかったのです。それら重要な文書をエズラらが編集して、聖典を作った。そして、それがいともたやすく正典になったというわけです。

 

著者が注目しているのは、エズラがペルシア帝国の高官だった点です。

実は正典はユダヤ民族が自発的にこしらえたものではなく、ペルシア帝国の命令のもとでまとめられたのでした。

ペルシア帝国は支配下の民族にそれなりの自治を認め、その秩序を確かなものとするためにそれぞれの掟を作らせた。そしてその掟を編集するために遣わされたのが、ペルシア帝国の高官にしてユダヤ人のエズラだったのです。

著者はここから、聖書の核となる文書があまりにもスムーズに正典になれた理由として、ペルシア帝国の権威を挙げています。外部の権威が正典の正当性を担保するという、非常に興味深い事態を推測しているのですね。

 

日本の戦後憲法について同じことが言えるかも

このロジックどこかで見たことあるなと思ったのですが、これ戦後日本の憲法ですね。

誰だったかが(柄谷行人か?)、「戦後日本憲法は外部から無理やり押し付けられた、だからこそそこには通常ではありえなかった尊さが発動するようになった」みたいなことを言ってたと思うんですね。

普通であれば、「戦後日本は憲法を外部から押し付けられた、だからダメなんだ」的な理解になりがちですよね。その発想を逆転させているわけです。

(追記:やっぱり柄谷でした→なぜ憲法9条は日本に定着したのか『憲法の無意識』【書評】

最初聞いたときは「ふーんアクロバティックなロジックだな」ぐらいにしか思わなかったのですが、『旧約聖書の誕生』を読んでその話を思い出し、印象が変わりました。

外部の権威から半ば押し付けられたからこそ、強大な聖典をもつことができる。これをユダヤ人の歴史は証明している可能性があるんですよね。

だとしたら、戦後日本憲法でも同じ効果が発動する可能性はあるかもしれない。戦後日本憲法を擁護する先ほどのロジックは、単なるロジックのためのロジックではなく、事態の核心を突いているのかもしれません。