【洋書】ホーソーン『緋文字』アメリカ文学屈指の名作【書評】

2021年6月14日

ホーソーンのThe Scarlet Letter(緋文字)を読みました。

2年くらい前に岩波文庫バージョンで読んでいるので、これが2周目。

 

文章はめちゃくちゃむずかしいですね。先に日本語バージョンを読んでいなかったら、理解できなかったと思います。逆にいうと、先に日本語訳さえ読んでおけば、このレベルの古典でもけっこう読めるものです。

ちなみに岩波文庫版は(英米文学の翻訳にはめずらしく)とても綺麗な日本語なので、原文へのこだわりがない人には岩波文庫版をおすすめします。

 

この『緋文字』という作品、ひとが「アメリカ文学」と聞いたときに思い浮かべるであろうイメージとはまったく異なる性格の小説です。

アメリカ文学というと、どこか乾いた作風をイメージしますよね。また、良くも悪くも深みがないという印象があるかと思います。

しかしホーソーンのこの作品は違います。めちゃくちゃ湿り気があります。そしてものすごく深い。キリスト教を背景にした暗示が作品をおおいつくし、あたかもドストエフスキーに通じる雰囲気すらただよっています。

こんな異質な作品が、アメリカ文学の最重要古典のひとつとして君臨しているのかと、びっくりしますよ。

 

最初に読んだときはキリスト教的な色調が強いなと感じたのですが、今回はむしろロマン主義的な色調が強いと思いました。キリスト教の道具立てを使ってはいるものの、きわめてロマン派的な作品だといえるのではないでしょうか?

『緋文字の断層』という評論集に書いてあったのですが、ホーソーンは己が内のピューリタニズムとロマン派の相克に悩んでいたそうです。彼の作品を読み解くには、このふたつの立場を理解することが欠かせないですね。

 

また今回の読書で、主人公ヘスターの娘パールの印象も変化しました。

『緋文字の断層』の考察によると、パールは生ける緋文字であり、神の御使いなんですね。ヘスターを監視し、天国へといざなうことが役目です。

しかし再読してみると、それだけでは収まりきらない印象をうけます。キリスト教の文脈から超越していくような、異教の精霊の力を感じます。このへんにもキリスト教とロマン派の相克が表れているのかもしれないですね。