東浩紀の『存在論的、郵便的』が難しすぎた件
東浩紀の『存在論的、郵便的』を再読しました。そして、序盤40ページほどで挫折した。
こんなに難しかったっけ…?
前回読んだのはおよそ10年前。そのときはむしろわかりやすくて感動した覚えがあるんですよね。「あのデリダがこんなにこんなにわかるなんて」と。
この本は東浩紀の原点なんですね。たしか彼の博士論文だったような。24歳ぐらいでこんなものが書ける才能に驚く。
前期でも後期でもない、ほとんど語られることのなかった中期デリダの異様なテクストを読み解き、その思想のコアを明らかにしていく作品です。
文章そのものは明快です。カントとかヘーゲルみたいな哲学語で書かれているわけではない。
それなのに、異様に難しいのですね。情報が圧縮されているというか、密度が尋常じゃない。
平易な文章で高度に理論的な内容を書く人といえば柄谷行人がいますが、本書は柄谷の著作より圧倒的に難解ですね。
よく東は「存在論的、郵便的みたいな本を書いてもだれも読まない」みたいなことを言いますが、今回、たしかにそうかもしれないと思った。
「東浩紀の『存在論的、郵便的』ってなんで文庫化されないんだろー」と思っていましたが、仮に文庫化されても、まともに読める人はほとんどいないでしょう。
少なくとも、今の僕には厳しいです。
今の東浩紀の本はわかりやすい
東浩紀の書いた哲学書といえば最近では『観光客の哲学』がありますが、あれはきわめて読みやすい本でしたね。
高度な内容が、だれにでもわかる文章でつづられています。
近年の東浩紀は、昔よりもさらに平易な文章で哲学を語るようになっています。
昔は「東浩紀の著作といえば『存在論的、郵便的』でしょ」と思っていましたが、今はむしろ、よっぽど哲学に興味のある人以外、あれは読まなくていい気がしてきた。
『動物化するポストモダン』や『観光客の哲学』、それから各種のエッセイを読んでいくのがもっとも生産的な気がします。
最近ですと、『テーマパーク化する地球』がいいですね。東浩紀の考えていることを伝えてくれる、優れたエッセイ集です。