岡義武『近衛文麿』運命の子【書評】

2021年1月27日

岡義武の『近衛文麿』を読みました。政治家・近衛文麿の評伝です。

岡らしい作品で、アカデミックで硬質な文章と内容ながらも、なぜか読み物としてもおもしろい。岡の著作はどれもそう。終盤は文学的な香りすらただよいます。

若き近衛文麿は哲学が好きだったそう。京都大学で西田幾多郎の教えを受け、京都学派との交流をもっていました(そういえば、戦時中における京都学派と政府および軍部とのつながりについても、色々と読んでみたい気持ち)。

逆に政治の世界は嫌いだったらしい。そのまま哲学の道を進んでいれば悲劇は避けられたのにと思わざるをえません。

 

若き近衛文麿には、「英米本位の平和主義を排す」という有名な論文がありますね。岡がその内容を要約していますが、それを読むと近衛の頭の良さがわかります。

モーゲンソーを思わせるようなリアリズム的な思考があって、おもしろい。第一次世界大戦後の国際秩序は国際的正義の美名のもとにイギリスやアメリカの利益を確保しているにすぎない、そこから排除された者がおとなしくしているいわれはない、という内容。

近衛文麿はその後もこの思想の上で動いていたようです。たとえば満州事変や日中事変を、基本的には肯定していました。英米派の西園寺公望とは根本思想が異なっていたようですね。

 

ただし近衛は基本的に反戦論者ではありました。軍部に引きずられて、日中戦争、三国同盟、太平洋戦と、奈落への道を歩いていった。

近衛は陸軍の皇道派と深いつながりをもっていました。はじめて政権についたときに発案した大規模な恩赦論は、2.26で失脚した皇道派を復活させる狙いがあったといわれています。

ただしそれだけではなく、軍部は近衛に利用価値を見出していたのです。大衆に絶大な人気を誇る近衛をトップに据え、コントロールすることで、自分たちの要求を実現しやすくなるから。

 

終戦後アメリカから戦争犯罪人に指定された近衛は次のように言います。

犯罪にはその意志がなければならない。自分にはその意志がまったくなかったばかりか、戦争の一日も早い終結のために全力を尽くした。それ故に、アメリカから戦争犯罪人に指名される理由はない。(岡義武『近衛文麿』岩波新書236ページ)

気の毒な気持ちにはなりますが、近衛はやはり政治家向きではないですね。マックス・ウェーバーが言うように、政治家は心情倫理ではなく責任倫理で行動しなくてはならないのですから。

どんなにきれいな意図をもっていたとしても結果が伴わなければ政治家として失格なのであり、逆に結果さえ残せれば心情が汚くても政治家としては一流ということですね。

近衛は知識人のほうが向いていたと思う。知識人になっていれば、その頭の良さを活かし、順調な人生を送れたはず。現実感覚の乏しさや判断力の鈍さも問題になりませんから。

 

近衛が自殺したとき、毎日新聞は次のように書きました。

疾風怒濤時代の政治家として、公はすべての欠陥を暴露したのだった。支那事変の勃発にも、翼賛運動の展開にも、はた三国同盟の締結にも公の責任は重いのだが、しかも、公を大政治家気取りにさせたところに時代の責任がある。いはば柄にない役割を演じたのである。(本書235ページ)

これが近衛の運命をうまく要約していると思います。


 

岡義武の岩波新書には『山県有朋』もあります。そっちもそのうち読んでみたい。

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Posted by chaco