ファンタジー好きは何を評価している?井辻朱美『ファンタジーを読む』【書評】
僕はファンタジーが好きでよく読むのですが、コアなファンタジー愛好家の人たちとの感性のズレを感じることが少なくありません。
「それを評価するのか?」とか、「これを評価しないのか?」といった驚きがしょっちゅうあるのです。
いったいファンタジーのマニア連中はなにを見ているのか?
井辻朱美の『ファンタジーを読む』を読んで、その謎が解けた気がします。
ファンタジーのコアは世界設定にあり
井辻朱美によると、ファンタジーの肝は世界の設定にあります。現実とは異なる幻想の異世界を、いかに作り込むか。
高度なファンタジー作品であるためには、異世界に登場するすべてに来歴が必要です。種族も、アイテムも、魔法も、地理もすべてが固有の歴史をもたなくてはならない。
この舞台の設計こそがファンタジーのコアであり、それに比べれば、舞台の上で繰り広げられる人間ドラマは二次的なものにすぎません。
極端な話、世界設計が一流であれば、フックのあるシナリオは必要ないとさえ言える。
ここにファンタジーマニアと一般読者の差異を解き明かすカギがありますね。
ふつう読者はストーリーや人間ドラマに着目するのですが、ファンタジーの愛好家はむしろ舞台設計を見ているというわけです。
これは小説だけでなく、ゲームや映画でも同じことが言えると思います。ストーリーやキャラではなく、世界観や雰囲気を楽しむユーザーや視聴者が一定数はいますよね。
ファンタジー文学を3つの時期に分ける
井辻朱美はファンタジーを大まかに3つの時期にわけています。
第一期の始まりがトールキンの指輪物語。第二期の始まりがエンデのネバーエンディングストーリー。そして第三期がローリングのハリーポッター以降です。
著者は第三期をネオファンタジーの時代と呼びます。それ以前の時代と比べ、ファンタジーの様相が変わってきたらしい。
その要因は二つ。一つはハリーポッターのヒットによるファンタジーの一般化。もう一つは指輪物語など古典的ファンタジーの映像化(映画化)です。
これらが引き起こした変化は大きく、今やファンタジーは現実に接近し(トールキンは異世界を現実から引き離し自立させることに苦心した)、逆に現実から現実感が薄れ始めているといいます。
確固たる現実世界があり、そこから遠く離れた異世界にファンタジーの国がある。トールキンの時代には当たり前だったこの前提がエンデを境に崩れ始め、ハリーポッターにいたって現実と幻想の境界線はかぎりなくぼやけてきたと言えるでしょう。
著者は触れていませんが、日本の場合はドラゴンクエストやファイナルファンタジーを中心とした家庭用ゲームの影響も見逃せないと思います。
ファンタジーが好きなら必読
この『ファンタジーを読む』、ファンタジー好きなら限りなく楽しめる本になっています。
取り上げられる作品は国内外を問わず無数。指輪物語、ナルニア、ゲド戦記、はてしない物語、ハリーポッター、荻原規子の勾玉シリーズ、小野不由美の悪霊などなど。作品への理解が多角的に深まりますよ。
同著者の名著『ファンタジーの魔法空間』とあわせて読むのがおすすめです。