本居宣長論の挫折 橋爪大三郎『小林秀雄の悲哀』【書評】
20世紀の日本を代表する知性、小林秀雄。彼の最晩年の仕事は本居宣長論でした。
1977年に新潮社から発売された『本居宣長』は、発売後すぐにベストセラーになります。しかしこの作品、実は小林がうまくまとめきれずに終わった失敗作でした。
なぜ小林秀雄は本居宣長を題材にしたのか?そしてそれはなぜ失敗したのか?
この問いかけに答えようとするのがこの『小林秀雄の悲哀』です。
著者は社会学者の橋爪大三郎。橋爪が小林秀雄を取り上げるというのも意外な気がします。丸山真男の次は小林について書こうと決めていたそうです。
なぜ小林秀雄は本居宣長を取り上げたのか
橋爪大三郎によると、小林が本居宣長を選んだのは日本の近代というテーマに決着をつけるためだったといいます。
戦前、戦争、そして戦後。なぜ日本はあのような戦争に熱狂したのか?あの戦争はなんだったのか?そして戦後の日本とはなんなのか?
こうした問題を解くための焦点を、本居宣長に求めたということでしょう。宣長は国学の大ボスですから。
なぜ本居宣長論は失敗したのか
では小林の『本居宣長』はなぜ挫折したのでしょうか。橋爪によると、これには2つの理由があります。
ひとつは小林が学問的アプローチを軽視したこと、もう一つが宣長の『古事記伝』を扱わなかったことです。
宣長はイメージに反して理知的な学者です。その著作もゴリゴリの論理で組み立てられている。したがって彼の著作を読み解くためには、学者的なアプローチは欠かせません。
ところが小林は宣長に対して、文芸批評的なアプローチで臨みました。ここに問題が合ったと橋爪は指摘します。
また、小林は宣長の『古事記伝』を扱いませんでした。学問的アプローチでなければ扱えないような代物だからです。しかし宣長を読み解くためには『古事記伝』を飛ばすことはできないと橋爪は言います。
小林にとっての宣長が橋爪にとっての小林か
実はこの本、小林の『本居宣長』をパラフレーズするような存在になっています。序文を読むと、書いた本人もそれを意識していたことがわかる。
ですから『本居宣長』に対してなされた批判が、本書にもそのまま当てはまる部分が多いのです。なんとなくフワフワして的を得ない感じが、終始ただよっています。
内容的には小林というより宣長の読解がメインになっている感じ。小林秀雄というよりは本居宣長のほうに関心がある人が読むと、楽しめるかもしれません。
それにしても、小林秀雄論の決定版といえる本はなかなか存在しないですよね。江藤淳の『小林秀雄』も失敗作だと言われていますし。書くのが相当むずかしいのだと思います。