ホーソーンとロマン主義とキリスト教『緋文字の断層』

2020年10月24日

『緋文字の断層』を読みました。アメリカ文学を代表する作家ホーソンの代表作『緋文字』をめぐる論文集です。

9本の論文が収録されていて、テーマはさまざま。翻訳家として有名な柴田元幸も寄稿しています。

なかでも青山義孝の「天国の噂」が抜群におもしろいですね。一番最初に収録されている論文です。

ホーソーンを理解するためには、キリスト教のピューリタニズムとロマン主義の相克という問題が重要なのだと気づかされます。

また『緋文字』という作品が思いの外ポジティブなベクトルを秘めていることが明らかになり、目から鱗が落ちます。

 

西洋の天国観、その変遷

西洋人がどのように天国をイメージするのかは、時代によって変わります。

まず中世のキリスト教社会。ここでは神中心の天国観が支配的でした。そこには人間的な価値観は持ち込まれず、神との一体化が天国の救済としてイメージされます。

ルネサンスになると、人間的な天国観が出てきます。現世的な価値観の延長線上に天国がイメージされるのです。たとえば死に別れた家族との再会、愛し合う者との永遠の生活、といってふうに。

宗教改革が起こると、揺り戻しが起こります。人間的価値観で神をイメージするのは冒涜であるとして、神中心の天国観が復活してくるのです。

19世紀になると、啓蒙主義への反発からロマン主義が登場。またしても揺り戻しが起こり、今度は人間的な価値観でイメージされる天国観が復活します。

 

現代という時代はこのロマン派の延長線上にありますね。どの分野でもよく言われることですが、僕たちはロマン派の子どもであり、良くも悪くもロマン派からは抜け出せていません。

 

ホーソーンのなかのロマン主義とピューリタニズム

ここで注目すべきことは、ホーソーンの天国観です。

ホーソーンといえば厳格なピューリタンの末裔であり、その作品もキリスト教色がめちゃくちゃ強いのですが、興味深いことに天国観はロマン主義に近いのです。

現世の生活に対してはピューリタン的な発想をするホーソーンですが、あの世の生活となるとロマン派的な見方が出てくる。『緋文字』にもそれが表れています。

 

たとえばラストシーンにおける墓の描写。ヘスターとデムズデイルの墓はそれぞれ隔てられているものの、それらは一つの墓石によって橋渡しがされていると書かれています。

どういうことか?青山義孝によると、これは現世と来世における二人の生活のコントラストを表したものに他なりません。

墓石とはあの世の象徴です。つまり墓石によって橋渡しされるとは、現世では隔てられていた二人が天国においては幸福な生活を営んでいるということを意味します。

天国で幸せに暮らすヘスターとデムズデイル。このイメージは、きわめてロマン派的だといえるでしょう。

 

ホーソーンは己のなかのピューリタニズムとロマン主義の相克、言い換えればキリスト者としての自分と芸術家としての自分の矛盾に、強くこだわっていた形跡があります。

ホーソーン作品を読み解く上で、これは欠かすことのできない視点です。

 

緋文字とは何か?

緋文字とパールについても興味深い説明があります。

ヘスターの胸に刻まれたAの文字、これはなんでしょう?

青山によると、この文字は神がヘスターに与えた印であり、その役割はヘスターを天国に導くことにあります。

そしてヘスターとデムズデイルのあいだに生まれた私生児パールとは、生ける緋文字に他なりません。

パールとは神が送った聖霊にひとしい存在なのであり、その役割はやはりヘスターを天国へと導くことにあります。言い換えると、パールは現世におけるヘスターを監視しているのです。

時にヘスターがパールに対して抱く畏怖やおののき。その正体はここにあるといえるでしょう。

僕はホーソーンの『緋文字』という作品に、暗く悲しいイメージだけをもっていました。このようなポジティブな内容が秘められていることには気づきませんでしたね。

 

ますます『緋文字』が好きになった

僕がホーソーンの『緋文字』を読んだのは2018年のこと。図書館のリユースコーナーにたまたま置いてあった岩波文庫版を見つけて、持ち帰って読んだのでした(あれは神の贈り物か)。

読んでみてびっくり。アメリカ文学に、このような深遠な作品があるのかと驚嘆しましたね。ドストエフスキーに似ているとすら言えるでしょう。

そして今回この『緋文字の断層』、なかでも「天国の噂」を読み、『緋文字』に対する理解がさらに立体的になりました。

優れた批評とは、対象となる作品をますます好きにさせる力を持つものだといえるはずですが、本作はそのレベルにあったといえるでしょう。