科学技術は人類を幸福にしなかった ハラリ『サピエンス全史』【書評】
ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んでみました。
巷で話題になっているベストセラーってたいてい言われているほどたいしたことないんですが、本書は例外です。そうとう面白い。
一言でいうと、人類の歴史を一望のもとに収めようとする壮大な本です。
しかも歴史に対していろいろな視点から重層的に迫っていくのが特徴。人類学、考古学、生物学、文学などの最新知見を総動員し、グローバルな歴史像を構成します。
著者いわく、とくに重要なのは哲学の視点を組み込んでいる点。価値の問題に踏み込み、人間の幸福について真正面から論じます。
ハラリは池上彰との対談で次のように言っています。
この本におけるもっとも重要な問いかけのひとつは、幸福をめぐる哲学的な問いです。こう私は問いました、歴史がすすむにつれて人間はより幸福になったのか?私たちは二万年前よりも幸福なのか、?と。(『「サピエンス全史」をどう読むか』)
この手の壮大な本って浅いものになりがちですが、本書がその落ちし穴から逃れられている理由のひとつに、この哲学的視点の組み込みがあるように思います。
人類史を画する3つの大革命
この『サピエンス全史』、一言でいえば人類7万年の歴史を振り返る本です。
そして歴史の方向を決めた3つの事件が大々的に取り上げられる。
7万年前の認知革命、1万2千年前の農業革命、そして500年前に始まり現在も進行中の科学革命の3つです。
認知革命の章では、人が言語によるシンボル操作を獲得したことで、他の人類種(人類はホモサピエンス以外にも存在しました)や動物たちから抜きん出たプロセスが説明されます。
前述の『「サピエンス全史」をどう読むか』では、この認知革命のパートがもっとも重要だと述べている学者が多かったです。
農業革命の章では、農業が史上最大の詐欺であったことが説明されます。
農業革命の結果、人類は全体としては豊かになりましたが、一人ひとりの生活は辛く厳しいものになりました。ここを読むと、農業に対するイメージが一変します。
個人的にはここが一番おもしろかったですね。
科学革命の章では、科学がいかに発展してきたか、そして最新テクノロジーが僕たちをどこへ連れて行くのかが語られます。科学・国家・資本主義の結びつきに多くのページが割かれます。
著者は「科学技術と文明の進歩は人類の幸福を増大させたのだろうか?」という視点をもちこみ、それに対して「NO」と判断します。
このペシミスティックな論調が、本書の特徴および魅力のひとつになっていると思われます。
歴史を学ぶ意味とは何か?
本書の著者ハラリは、歴史について独特の見方をもっています。彼によると、歴史を学ぶ意義とは、歴史の偶然性を知ることにあるというのです。
どういうことでしょうか?
一神教(キリスト教やイスラム教)が世界中に広まり、西洋人が制度を作り、資本主義と民主主義がベースになっている。
僕たちの生きる世界はだいたいこんな感じですよね。そして現在だけを見ていると、それがあたかも当然であるかのように感じます。
他の可能性があったとは感じられないし、未来が他のルートに逸れていくこともイメージできない。
しかし歴史を学ぶことでこれが変わります。
一神教が広がったことも、西洋が覇権を握ったことも、資本主義や民主主義が誕生したことも、決して当たり前ではなかったとわかるのです。
現在の世界は必然的なものではなく、偶然の産物であること。そして将来は不確かな偶然性に支配されていること。歴史を学ぶことでそれに気づける。
これがハラリの主張です。
ハラリと真逆の歴史観を取る人もいます。その代表者は19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルでしょう。
ヘーゲルは歴史を、人類の自由というゴールに向かって突き進む必然のプロセスと捉えます。そして彼のなかでは、フランス革命によってこのプロセスは達成されました。
未来の偶然性どころか、歴史はもう終わってしまっているというのです。後は小さな事件が起こったりそれが鎮圧されたりを繰り返すだけ。これがヘーゲルの歴史観です。
ちなみにこのヘーゲルの思想を引き継ぎ、現代という状況のなかで思考のアップデートを重ねているのがフランシス・フクヤマです。
1990年代初期に発売された『歴史の終わり』は世界中でベストセラーになりました。
ヘーゲルとは違って、『歴史の終わり』は誰にでも読める易しい文章で書かれています。ハラリと読み比べてみるとおもしろいかもしれません。
ハラリのニヒリズムには要注意
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なぜハラリの『サピエンス全史』はこんなに売れたのでしょうか?
おそらく、独特の文体と、歴史に対する冷めた見方の2点が大きいと思います。
文章がウィットに富んでいて、個性的なんですよね。ところどころで皮肉が効いて、ややブラック寄りのユーモアが炸裂する感じです。
これが読み物としての面白さをもたらしていると思います。似たような内容の本はほかにもあるけれど、本書はかなり個性的です。
またハラリは人類の将来に関してかなり悲観的です。ここにも人気の秘訣がある気がします。
今の時代は明るさや健康がもてはやされる一方で、日本やアメリカをはじめとした各国で民衆は大きな鬱屈を抱えていますよね。将来の進歩とか豊かさを信じている人は、ほとんどいないのが実情だと思います。
そこに著者のペシミステックな観点が登場した。これが民衆のムードと合致したのでしょう。
ただ悲観的な世界観が行きすぎているきらいはあるので、過度の影響を受けないように注意したほうがいいかとは思います。
たとえばハラリは無神論者なんですが、日本人の大半のようなゆるいノリではなくて、無神論という宗教の信奉者なんですよね。
ユダヤ教社会のなかでマイノリティを貫こうとすれば(ハラリはイスラエルのユダヤ人)、日本人のようなゆるいノリでは生きられず、確固とした強い信念で自分を支える必要があるのでしょう。
「聖書に書かれていることはすべてウソ!宗教はすべて人間が作り出したおとぎ話!宇宙には意味なんてない!」…みたいなドグマを信仰しているタイプです。
たしかにそれが真実である可能性はあります。が、真実でない可能性も当然ある。
どうせ無根拠な信仰をもつのであれば、もっと健康的な可能性に開かれていたほうがいいんじゃないかなと個人的には思います。
ちなみに原書でも読んでみました。
非常に読みやすい英文なので、多読用の洋書を探している英語学習者にもおすすめです。