本を読みすぎない方がいい理由『読んでいない本について堂々と語る方法』【要約】

2022年1月4日

『読んでいない本について堂々と語る方法』を語ろうと思います(ちなみに本当に読んだ)。

その異様なタイトルに引かれ、前々から気になっていた本。世界的なベストセラーでもあります。

著者のピエール・バイヤールはパリ第8大学の教授。精神分析家兼批評家で、とくにプルーストへの造詣が深いそうです。

この本、いきなりオスカー・ワイルドの引用から始まります。

私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ。(ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳)

まさにつかみは完璧という感じ。

全体は3部構成。

1 未読の諸段階(「読んでないにも色々あって…」)
2 どんな状況でコメントするのか
3 心がまえ

以下、注目ポイントをざっと概観してみましょう。

未読にも色んな種類がある

第1部では未読の諸段階が整理されます。未読の種類は次の4つ。

・ぜんぜん読んだことのない本
・流し読みしたことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本

まず「ぜんぜん読んだことのない本」ではムージルの『特性のない男』が参照されます。

そして教養とは個々の本の内容をくわしく知っていることではなくて、たくさんの本同士の関係性を把握していることだと主張されます。

「流し読みしたことがある本」では批評家のポール・ヴァレリーが参照されます。ヴァレリーが部分的な拾い読みだけでいかにプルーストを論じたかが分析されます。ちなみに日本の柄谷行人も同じスタイルだと思います。

批評家は、作品に目をつむり、作品の可能態に考えを向けることではじめて、批評の真の対象を感知することができる。それはまさに作品を超えるためである。そして作品ではないが、作品が他の作品と共有しているものを感知する。(ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳)

「人から聞いたことがある本」ではウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が参照され、「読んだことはあるが忘れてしまった本」ではモンテーニュが参照されます。

モンテーニュは記憶力が悪く、一度読んだ本をそれと気づかずもう一度読んでしまうようなことはしょっちゅうだったらしい。

 

批評するのはどんな状況で?

第2部では「どんな状況で(未読の本について)コメントするのか」というテーマが扱われます。

登場するのは以下の状況。

・大勢の人の前で
・教師の面前で
・作家を前にして
・愛する人の前で

グレアム・グリーン、ピエール・シニアックなどの作品が参照されます。

本書は良くも悪くもハウツー本というより文芸批評ですが、そのトーンがもっとも強くなるのがここ。本書を飛ばし読みするのなら、第2部がまっさきにスルーしていいパートということになるでしょう。

 

学校的な読書道徳からの解放、そして創造性へ

第3部では読んでいない本について語るさいの心構えが解説されます。テーマは次の4つ。

・気後れしない
・自分の考えを押しつける
・本をでっち上げる
・自分自身について語る

「気後れしない」の章ではデイヴィッド・ロッジの小説が参照され、学校が押し付けてくる重苦しい読書道徳からみずからを解き放つことの重要性が指摘されます。

「自分の考えを押しつける」ではバルザックの小説が引かれ、書物とは確固とした実体ではなく多様な作品のネットワーク内で揺れ動くものなのだから、自分独自の見方をそこに投げかけるのは難しくないのだと主張されます。

「本をでっち上げる」ではなんと夏目漱石の『吾輩は猫である』が参照されます。内容は前章と似たりよったり。

「自分自身について語る」ではオスカー・ワイルドが参照されます。ワイルドにとって批評活動とは「その本に仮託して自分自身を語る」ことにあったそう(小林秀雄とかも同じですね)。

そしてそれを実現するためには、対象の書物と距離を取らなくてはいけないと。学者のような態度で本に接すると、そこに取り込まれてしまい、自分の独創性が失われる危険があるとワイルドは指摘します。

読書のパラドックスは、自分自身に至るためには書物を経由しなければならないが、書物はあくまで通過点でなければならないという点にある。良い読者が実践するのは、さまざまな書物を横断することなのである。(バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳)

こうして本書は最終的に、読者を創造性の開発へと導きます。読んでいない本について語ることは、自分の創造性を磨くことと同義だというのが著者の見方です。

 

全体像を把握すると未知の本についても語れる

以上のように、本書で著者が強調するのは、全体像を把握することの大切さです。

著者にとって教養とは、ある文化が誇る重要書が織りなすネットワークの全体を把握していることをいいます。個々の本を読んだかどうかはあまり大したことではないと。

これは個々の本についても同じことが当てはまります。本の全体像をつかむことが何よりも大切なのであり、かならずしも個々の章をすべて読む必要はないというわけです。

そして全体像さえ把握していれば、しっかりと読んでいなくてもその本について語ることはできる。しかもその方が自分の独創性を発揮しやすい、という話の流れになっています。

 

ただ残念なことに、本書は具体的な方法論にはほとんど触れていません。

読んでいない本について語る方法がそろそろ登場するだろうと期待して読み進めたのですが、話は精神論に終始し、ふわふわした展開のまま本が終わります。

内容の構成もハウツー本みたいなのとは良くも悪くも一線を画し、文芸評論みたいな感じです。ウンベルト・エーコとかモンテーニュとかの作品が引かれ、急にその解釈が始まったりするような。

この構成をどう捉えるかで本書は好みが分かれそう。

具体的な方法論については他の著作をあたる必要があるでしょう。おすすめはアドラー&ドーレンの『本を読む本』あたりですね。

 

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Posted by chaco