『人工知能と経済の未来』時代はバタイユ的なものになる【書評】

2021年1月29日

文春新書の『人工知能と経済の未来』を読みました。

AI(人工知能)の進化が経済をどう変えるかを考察した良書。経済の観点からのAI論ですね。

新書という形式ながら内容は非常に深く、人工知能とマクロ経済の関係、ベーシックインカム導入への道筋などを考えたい人にとっては、必読の一冊といえるでしょう。

しかし個人的にこの本、最大の山場はあとがきのバタイユ論にありました。

20世紀フランス最大の知性ジョルジュ・バタイユ

ジョルジュ・バタイユという哲学者をご存じでしょうか?

20世紀のフランスで活躍した人で、小説家としても有名です。

20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデガーをして、フランス最大の知性だと言わしめた人物です。

バタイユは主にニーチェの思想を受け継ぎ、激烈な近代批判をしました。

日本にも多数の作品が訳されており、哲学系は平凡社ライブラリーとちくま学芸文庫、小説系は河出文庫でだいたい揃います。

ちなみに僕は大学生の時に、ちくま学芸文庫から出ている『呪われた部分、有用性の限界』と『宗教の理論』の2冊を読んだことがあります。

 

有用性vs至高性

さて『人工知能と経済の未来』ですが、著者の井上智洋は思想系の分野にも造詣が深いらしく、人文系の知識もところどころに登場します。

そして極めつけが後書きのバタイユ論。まさか人工知能と経済に関する本でバタイユが出てくるとは思わなかったので面食らいましたが、これがとても印象的な文章になっている。

バタイユは有用性至高性の対立概念を駆使したことで知られます。

有用性は「なんの役に立つか」という観点のことをいいます。この勉強はなんの役に立つのかとか、この資格はなんの役に立つのかとか。

そして近代の資本主義社会は、この有用性に支配された社会だといえます。すべてを「なんの役に立つのか」という観点から捉え、しまいには人間の価値ですらこの有用性の観点から計ろうとします。

バタイユがこの有用性に対置するのが至高性です。至高性とは、それ自体に価値があることを意味します。

たとえば勉強がめちゃくちゃ面白いと感じる人がいるとします。その人にとって、その勉強が将来なんの役に立つかなどはどうでもいい問題なわけです。ただその瞬間が充実している、だから勉強している。こういう人は、至高性の原理で生きているといえます。

 

AI社会ではみなが至高者になる

バタイユは有用性の観点からしか生きることのできない近代人を批判し、至高性を取り戻そうと考えます。

そして、働く必要がなく、生活に必要なものがすでになんでも揃っている王様などのことを至高者という概念で呼び表します。

本書のテーマであるAIとバタイユが関係してくるのは、ここにおいてです。

2030年以降になると汎用AIが普及し、やがて人類のうち仕事をしている人が1割にすぎない時代が来るという予測があります。

ただ単に仕事が見つからないだけなら地獄ですが、その未来においてはAIが莫大な経済成長を実現し、あふれた富がベーシックインカムにより全人類に分け与えられる可能性が濃厚です。

するとどうなるか?全人類がバタイユのいう至高者になるのです。

著者はケインズの『説得論集』(東洋経済新報社)から次のような文章を引用しています。

われわれはもう一度手段より目的を高く評価し、効用よりも善を選ぶことになる。われわれはこの時間、この一日の高潔でじょうずな過ごし方を教示してくれることができる人、物事のなかに直接のよろこびを見出すことができる人、汗して働くことも紡ぐこともしない野の百合のような人を、尊敬するようになる。

 

AIとベーシックインカムが完備された未来社会において、人類は「物事のなかに直接のよろこびを見出す」ことができるようになるのでしょうか?

あるいは退屈という魔物に殺されてしまうのでしょうか?

いずれにせよ、時代はいよいよバタイユ的になっていくことが予想されます。

 

バタイユ入門にはこれ

バタイユに興味があるひとには、講談社学術文庫から出ている湯浅博雄『バタイユ 蕩尽』をおすすめします。

このシリーズは当たりばかりなのですが、バタイユの巻も例にもれず。深さとわかりやすさが共存している解説書です。

バタイユ本人の著作なら『呪われた部分』(ちくま学芸文庫)がおすすめ。有用性への批判が繰り広げられる、バタイユの主著のひとつです。